石川英章プロフィール

プロフィール

三島市出身

1975年1月29日生まれ

静岡県出身 三島市在住

日本大学卒業後、株式会社丸井にて14年間勤務。一貫して婦人服に従事し、販売からバイヤー生産管理を経験。

2011年より有限会社石川商店に入り、2013年に社長に就任。

ライフスタイルをときめかせるをコンセプトに、仕事や遊びをより充実させる装いの提案をし、地元を元気にすることが私のミッションだと考えています。

≫2015年、エルスリー様に行っていただいたインタビュー記事はこちら

STORY

学生~就職活動時代

私は中学生の頃から家業を継ぐことを決めていて、「静岡1のセレクトショップにする!」という目標を持って進学をしました。

日本大学に入学したのも、東京のおしゃれな街に住んで感性を磨きたいという想いからでした。

就職活動でも、仲の良い友達の中で誰よりもはやく動き出しました。

アパレル業界しか考えていなかった私でしたが、1996年の就職氷河期の就活という壁を感じていたため、とにかく片っ端から面接を受けました。

合計80社の面接を受け、1日5~6社の面接やOB訪問をしゃかりきに行っていました。

アパレル業界の会社というと、「原材料を作る会社」・「アパレルメーカー」・「小売・百貨店」という分け方ができます。

私が第一志望していたのは「ワールド」という会社で、その会社は当時としては珍しかったメーカーと小売りがワンストップになっている会社でした。(三次面接で落ちてしまいました)

結果的に、アパレルメーカー3社・小売百貨店2社の内定を頂きました。

その中で私が選んだのが株式会社丸井でした。

その理由は3つあり、

①面接を受ける学生に対して紳士的だったこと

②人事部のリクルーターが若い+かっこいいという印象を強く受けたこと。若くても出世できることを実際に見せてくれたこと

③将来家業を継ぐなら、「売る力」をつけるということが必要だと就職活動中に気付き、販売の仕事に携わる会社が良いと思ったこと

でした。

しかも5次面接までとても速かったこともあり、丸井のとの相性が良かった感じ、入社を決めました。

サラリーマン時代

丸井には14年間勤務しました。(1997年4月~2011年2月)

「異動は最大の成長」という会社の方針で、その間に14回異動があり様々なセクションを経験できました。

この方針は私にとってありがたいもので、「経営者」になるためのスキルアップ・成長をさせてもらえました。

14年間一貫して「婦人服」に携わらせてもらい、

●4年間:販売

●5年間:バイヤー

●5年間:売り場マネジメント/マネージャー

という多くの経験をさせて頂きました。

14年間お世話になり、丸井の経験がなければ今の自分は無いと思っています。本当に感謝しています。

①販売員時代

当初から、会社や上司にも「ゆくゆくは家業を継ぎ経営者となります」と伝えていて、1年目から成果を出すことを目標に売り場に立っていましたね。

販売だけでなく赤いカードのご契約も積極的に提案して、販売員時代は一定の成果もあげることができました。スキルアップをしたいという想いで、本部のバイヤーセクションへの異動を志願してバイヤーへの異動が叶います。

②バイヤー時代

しかし、バイヤー時代は私の中で暗黒時代で…。

販売セクションとは異なり、丸井全店から優秀な社員が集まっている本部での仕事は、プライドは折れる・休みなし・メンタルもしんどくなり日曜日の夜は「会社に行きたくない」と毎週思っていました。

この時期に叩き込まれた事は「思う感ずるの仕事はするな」ということでした。

常に根拠を数字で語る事が要求されて、商品を自分の責任で発注するという経験を積ませてもらいました。

私の苦手な数字・計画・プレゼンに強くなるきっかけもこの時代があったからこその賜物でした。

5年間のバイヤー時代は私の会社人生で一番辛い期間でした。

最後は、バイヤーとしてはクビになり、再度店舗の販売に戻る事になります。

しかし、私はこのバイヤーのときの経験が今では一番役に立っていると実感しています。この経験が私を成長させてくれた大きな財産です。

③マネージャー時代

その後5年間の売り場のマネジメント職では、販売するというスキルだけではなく、チームをまとめることの大切さを学ぶ大きな経験ができました。

本部から売り場へ赴任した当初は、今までの販売経験に加えバイヤー時代の経験が活き販売成績も順調でしたが、部下がついてこないことに気付きます。

「自分一人の力は限界がある。部下の力を引き出すにはどうすればいいか?チームワークやマネジメント力を学ばないと」

と思い、マネジメントの本を30冊一気に読みまくり、片っ端から実行しました。

その中で重要なポイントは大きく3つありました。

①部下の話を聞くこと

(自分が話すより話を聴くことに集中する事)

②責任はおれがとる、と真摯に伝えること

(部下が安心して失敗を恐れずチャレンジできる環境にする事)

③ヴィジョンや計画を常に中長期的に伝える事

(どう頑張ればどう評価されるか?を明確にした事)

を学びました。

自分一人ではできない事をチームで達成することのやりがいを体感することができ、アパレルの仕事が一層大好きになりました。

徐々にマネジメントの成果も上がり、会社から重要なポストの異動を頂くことができました。

①溝の口店の2層展開200坪売場の運営

②静岡店の戦略メンバー・改装リニューアルの運営

③新宿店の新開店

④神戸店の2層展開の売場運営

という、大きなポストを経験させてもらいました。

神戸店では、全店1位の目標比表彰をいただきましたが、これは本当にスタッフに恵まれたおかげでした。

最後の店舗で有終の美を飾る事ができ14年間のサラリーマン経験で沢山の事を勉強させて頂きました。

2011年、家業へ

2011年2月、36歳のときに家業を継ぐことを決め、丸井を退社。

三島に戻ってきました。

しかし、最初から困難に見舞われます。

すでにバブル崩壊後から親の店が売上低迷していたことや、追い打ちをかけたのが東日本大震災でした。

なんとか、立て直したいという私の想いとは裏腹に、

・両親との経営方針に対する考え方が全く交わりませんでした。話し合いがうまくいかず、丸井でのノウハウや自分の考えが通らない。

・家族・妻との関係も悪化していく。

・こんなはずではなかったという想いや早く成果を出さなければならないという焦りに毎日さいなまれる。

・経済的にもジリ貧に…。月の給料は10万円からのスタートで、幼い子供2人を育てるために必死に店の売上を上げる。

という悪循環が起こってしまい、焦っていました。

それでも、「何とかしなければ!」という想いから、

「売上5000万円を達成したら社長にしてくれ」

と父親にタンカをきり、今までの経験や学びを生かして自分でできることをとにかくやりました。

徐々にお客様が来店してくれるようになり、取引先様や地元の経営者の先輩や仲間達、金融機関様にも助けてもらいながら、2013年にその目標を達成。

社長になり、その年から理想のお店をつくるため、改装に着手。

2014年、今のISHIKAWA-LABOとなりました。

両親との関係も長いこと悪かったのですが、最近、お客様から私達が支持して頂いていることや、業界誌に何度も紹介される様になり、そんな話が両親の耳に入るようになり、両親から私達の成果を認めてくれるようになりました。両親とも今では和解し親子関係も元通りになりました。

その事をご存じのお客様には、長い間ご心配をおかけしていたかと思います。すみません。

そんな大変な時期もずっとついてきてくれた妻には本当に感謝しかありません。

そして、私の2人の娘達にも感謝しています。

彼女たちがいたからこそ、どんなに挫けそうな局面でも、なんとか歯を食いしばって頑張ってこれました。

家族がいてくれたからこそ、今の自分があります。本当にありがとう。

お客様へのメッセージ

ここまで長文をお読みいただき、誠にありがとうございます。

私達がISHIKAWA-LABOを通じて、お客様に提供できる事。

それは「飽くなきチャレンジ」だと考えております。

同じことを繰り返すのではなく、去年より今年。今年より来年。

常に新しいチャレンジ・新しい提案をお伝えしなければ、お客様に本当にに喜んでもらうことはできないと考えています。

「お客様に似合うものを着てもらい、もっと素敵になってほしい!」

「東京のセレクトショップと同レベルの品揃えやコーディネートを、三島でも楽しんでもらいたい!」

その想いで、この9年間妻と一緒に沢山の事にチャレンジしてきました。

・店舗の改装

・海外仕入れ

・取引先メーカーさんの拡大

・SNSでのコーディネート配信

・ネットショップオープン

2020年にはスタッフも4名加わり新しいISHIKAWA-LABOに生まれ変わりました。

お客様との喜びは、スタッフが増えればもっと大きくなると思います。

お客様にとって理想のお店に近づくよう、これからもISHIKAWA-LABOは失敗を恐れず新しい事にチャレンジしていきます。

どうぞ今後とも末永くよろしくお願い申し上げます。

2021年3月

ISHIKAWA-LABO (有限会社石川商店)

代表取締役 石川英章

お取引先様へ

平素は当社へ格別のご高配を賜り、誠にありがとうございます。

私は、これからの未来においてもアパレル業界は夢のある仕事だと思っています。

・お客様に喜ばれるというやりがい

・ITが発達しても人でしかできない仕事

・経済的にも業績が伸長可能な業界であること

斜陽産業と言われることもしばしばある業界かもしれませんが、私はそういった空気を壊していきたいと決意しています。

もっともっと、時代をけん引するかっこいいアパレル業界人を増やしていきたいと思っています。

お取引先様には「共存共栄を!」と呼び掛けています。

その点で、営業担当の方にはときに厳しく本気で伝える事もあるかと思います。

しかし、それは本気で業界全体を良くしていきたいからです。

そのためにも、お取引先様にも、お店に来て下さるお客様が本当に求めているものや気持ちを理解し、共感してもらいたいと思っています。

「お客様にもっと素敵な装いをしてもらいたい!」

という想いが、セレクトショップとメーカーが一致団結することで、ようやくお客様にも想いが伝わると考えています。

当店での成功事例は惜しみなくお伝えしますのでぜひアパレルの業界やコミュニティを共同で良くしていきましょう!